長久手市郷土史研究会

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長久手の史跡

長久手の史跡です

長久手市の城 長久手城趾

長久手城趾 【所在地】 長久手市城屋敷 城屋敏地内の加藤太郎右衛門忠景の居館で、血ノ池(前山池)を東の防禦ラインに見立て、その池水を有事に備えて築かれた平城です。 『張州府志』に、「在長久手村、加藤太郎右衛門居之、今為民家」と記され、「尾張志」…

長久手市の城 岩作城趾

岩作城趾 【所在地】 長久手市岩作城の内 役場南縁の水路から、農業協同組合までを含む敷地を有する城であった。 かつて岩作村を領有した今井氏の居城で香流川の右岸に広がった沖積面のほぼ中央に位置し、川の南面の防御ラインに見立てて縄張りされた、方形…

≪隠れた史跡10≫ 豊龍院・庚申塚・山の神

【豊龍院】 県道215号線、石田の信号を市役所方面に向かい、300m辺りで右折すると、閑静な住宅街に囲まれて、ひっそりとたたずんだ境内と本堂がある。山号は医王山、別名は医王山豊龍院。御本尊として室町時代の作と伝わる薬師如来像、延命子安-薬師尊像が安…

≪隠れた史跡9≫八左衛門の墓

八左衛門の墓(はちざえもんのはか) 色金保育園の北隣(長久手市岩作中島) 「八左衛門の墓」は岩作寺山の色金保育園と児童館の西側の畑のあぜにひっそりとあります。 小さなお地蔵様になっていて、余程注意して見つけないと見過ごしてしまいます。 さて、今…

≪隠れた史跡8≫耳塚

耳塚(みみづか) 長久手市消防署の東隣(長久手市岩作中繩手) 長久手市消防署の東隣地に4坪(約12㎡)ほどの草塚があり、耳塚と呼ばれています。 何時、誰が、どうして建立したかは全く不明です。また長久手合戦にちなんだ史跡なのか、 どうかも確証はあ…

≪隠れた史跡7≫筆子中

筆子中(教圓寺)と徳川時代後期における長久手の教育 ふでこちゅう(きょうえんじ)と とくがわじだいここうきにおけるながくてのきょういく 長久手市役所の南東500m(長久手市岩作東島) 教圓寺の境内に“筆子中”と言う文字が刻まれた小さな石碑がある。高さ…

≪隠れた史跡6≫岩作御嶽山

岩作御嶽山(やざこおんたけさん) 長久手市役所の南東800m(長久手市岩作壁ノ本) 高い山のもつ霊気と畏敬の念から山岳信仰は日本各地に存在する。主なものだけでも、御嶽山、富士山、立山、白山などである。このうち信者数から言うと、御嶽教は他を圧倒…

神明社 と 旧北熊村(現長久手市)の神社今昔

長久手市の神社今昔 旧北熊村 長久手市旧北熊村の神社は下地図に示すように、山麓に沿った旧道に面して建てられました。往古よりこの近辺は神明社古墳群や助六古墳群が造営されるなど、聖地的性格のある場所だったようです。 旧北熊村の神社に関する文献とし…

≪隠れた史跡5≫猪の鼻里謡と馬頭観音

猪の鼻里謡と馬頭観音(いのはなりようとばとうかんのん) 長久手市役所の東700m(長久手市岩作色金) 安昌寺の門前付近一帯を、元門と呼びます。元門とは出入り口のことで、安昌寺の参道が旧道につながる場所(入り口)であることから、この地名がつき…

熊野社・御嶽社 と 旧大草村(現長久手市)の神社今昔

長久手市旧大草村の神社に関する文献は、江戸時代では寛文村々覚書(1670年頃)・寺社誌(江戸初期)・張州府志(1752年)・尾張徇行記(1826年)・尾張誌(1843年)、明治以降では尾張国愛知郡熊張村誌(1880年)・大草村誌(戸田鉷四…

≪隠れた史跡4≫安昌寺境内史跡

安昌寺の十一面観音菩薩と 岩作八景「安昌寺晩鐘」歌碑と夜泣き石 あんしょうじのじゅういちめんかんのんぼさつとやざこはっけい「あんしょうじばんしょう」くひとよなきいし 長久手市役所の東400m(長久手市岩作色金) 安昌寺は山号は久岳山、曹洞宗寺…

多度社・秋葉社 と 旧前熊村(現長久手市)の神社今昔

長久手市の神社今昔 旧前熊村 長久手市旧前熊村の神社に関する文献は、江戸時代では寛文村々覚書(1670年頃、以下覚書)・寺社誌(江戸初期)・張州府志(1752年、以下府志)・尾張徇行記(1826年、以下徇行記)・尾張誌(1843年)、明治以…

≪隠れた史跡3≫百八塚(碑)

百八塚(碑)ひゃくはちづか(ひ) 長久手市役所の北300m {長久手市岩作(宮後)} 昔、岩作の田の中には数多くの塚が散在しており、これを「百八塚」と称していました。 岩作の田の中80余町歩中に多くの草塚が点在し、保存されてきたことは古来より有…

≪隠れた史跡2≫直會神社と岩作八景「直會社夜雨」句碑

直會神社と岩作八景「直會社夜雨」句碑 なおらいじんじゃとやざこはっけい「なおらいしゃよさめ」くひ 長久手市役所の北西700m (長久手市岩作五反田) 直會とは、お祭りの際に神前の供物を下げて、祭祀の関係者や氏子等が集い、頂くことを言います。「…

景行天皇社・富士社 と 旧長久手村(現長久手市)の神社今昔

長久手市の神社今昔 旧長久手村 長久手市旧長久手村の神社に関する文献は、江戸時代では寛文村々覚書(1670年頃、以下覚書)・寺社誌(江戸初期)・張州府志(1752年、以下府志)・尾張徇行記(1826年、以下徇行記)・尾張誌(1843年)、明…

≪隠れた史跡1≫ 八大龍王の碑と岩作八景「立石池落雁」の歌碑

八大龍王の碑と岩作八景「立石池落雁」の歌碑 はちだいりゅうおうのひとやざこはっけい「たていしいけらくがん」のくひ 愛知医科大学南の立石池南堤(長久手市岩作北山) 愛知医科大学の南西に広がる岩作で一番巨大な立石池、この池の南堤中央に二つの石碑は…

長久手市の隠れた史跡

長久手市の隠れた史跡をシリーズで紹介する。 上記地図の各項目番号の概要は下表に示しますが、詳細については、各項目の詳細(PDF画面)のアドレスをクリックしてください 1 ≪立石池(岩作で一番巨大な池)の南堤中央にある史跡≫ ・八大龍王の碑 大正2年…

石作神社・直会社 と旧岩作村(現長久手市)の神社今昔

長久手市の神社今昔 旧岩作村 長久手市の旧岩作村の神社に関する文献は、江戸時代では寛文村々覚書(1670年頃・以下覚書)・寺社誌(江戸初期)・張州府志(1752年・以下府志)・尾張徇行記(1826年・以下徇行記)・尾張誌(1843年)、明治…

熊張古墳群

熊張古墳群 (長久手市) 古代、長久手市内の古墳は、三ヵ所の地区に渡って、築かれていた。 ①熊張地区の大草丘陵南部に分布する熊張古墳群 ②岩作丘陵の北端の高根山と香流川を挟み北にある色金山に分布する高根山古墳群 ③三ケ峯丘陵北部に点在する原山、寺…

長久手市の保存古窯

長久手市の保存古窯 古墳時代が終焉を迎え、日本の律令国家体制が整えられる7世紀に、長久手市の一角にも須恵器生産窯が誕生し、13世紀前期ころまで、猿投窯の一翼を担っていた。 近年、長久手市も急激に発展し、古窯のあった地域も開発される中で、古窯も…

瓫五十戸(ほとぎのさと)1

瓫五十戸 1 長久手市文化財に指定された刻書須恵器片「瓫五十戸」 平成25年2月、須恵器片10枚が長久手市文化財に指定された。新規指定は長久手市では13年ぶりのことである。 長湫南部区画整理事業に伴う事前の発掘調査が、平成16年から18年にかけて丁子田1…

瓫五十戸(ほとぎのさと)2

5 猿投山西南麓古窯跡群と発掘調査 昭和30年、愛知用水工事に伴う遺跡調査により、1200基以上の古窯が確認され、長久手南部で4古窯が確認され、長久手で初めて古窯が確認された。現在、長久手市内には32の古窯が確認されている。 (猿投山西南麓古窯跡群)…

瓫五十戸(ほとぎのさと)3

10 猪高(いたか)緑地 平成13年4月号『名古屋市博物館だより139』に「猪高緑地採集『瓫』片」の報告。名東区上社の加藤久雄氏が永年にわたって名東区猪高緑地で採集し、名古屋市博物館に寄贈した2475点の古墳時代から奈良時代にかけての出土資料に、刻書…

長久手市の城 大草城趾

大草城趾 【所在地】 長久手市溝之杁ほか 大草城の築城と改築 承久の乱で敗北した後鳥羽院方に参加した山田重忠は自害し、北条氏の御家人の所領となり山田荘の城塞・居館はことごとく焼き払われた。 大草城も焼かれて廃城となったまま、長い間放置されていた…