長久手市郷土史研究会

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長久手市の城 岩作城趾

岩作城趾

【所在地】 長久手市岩作城の内

 役場南縁の水路から、農業協同組合までを含む敷地を有する城であった。

 かつて岩作村を領有した今井氏の居城で香流川の右岸に広がった沖積面のほぼ中央に位置し、川の南面の防御ラインに見立てて縄張りされた、方形プランの城である。跡地は長く田畑で、城の南面の虎口ははっきりと見られたが、大型店舗等の進出のため、昭和60年度から3次にわたって発掘調査が行われ、遺構は盛土の下となった。

規模

 『尾張志』は東西四十四間、南北三十二間」と記し、四囲に「土居幅二間つつあり」と付加しており、東西約88m、南北約66mで平均的な方形単郭の平城よりやや大きめの城である。城跡に当る部分を地籍図で確かめると、堀の部分は田圃に、土塁と居住区域は畑に表現され『尾張志』の記述によく合う。

城主

 『寛文村々覚書』に「今井五郎太夫居城の由」と、また『尾張志』に「今井四郎兵衛居之当村東畠にあり、其跡一段二畝歩とある是なり、郷人今も其名を知れり、天正十二年四月九日岩崎籠城戦士の死に今井四郎三郎といふあるは四郎兵衛の子なとにやありけむ」と記される。