長久手市郷土史研究会

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2013-01-01から1年間の記事一覧

長久手市の歴史小話1

長久手市で過去にあった歴史の小話をシリーズで掲載します。 かつて長久手にも演劇集団があった 戦後まもなく、長久手の神社や寺院境内などで、若者たちによる農村芝居が行われ、大変なにぎわいをみせた。 1 大入りの農村芝居ー長湫宮脇・昭和22年頃-(…

熊張古墳群

熊張古墳群 (長久手市) 古代、長久手市内の古墳は、三ヵ所の地区に渡って、築かれていた。 ①熊張地区の大草丘陵南部に分布する熊張古墳群 ②岩作丘陵の北端の高根山と香流川を挟み北にある色金山に分布する高根山古墳群 ③三ケ峯丘陵北部に点在する原山、寺…

長久手市の保存古窯

長久手市の保存古窯 古墳時代が終焉を迎え、日本の律令国家体制が整えられる7世紀に、長久手市の一角にも須恵器生産窯が誕生し、13世紀前期ころまで、猿投窯の一翼を担っていた。 近年、長久手市も急激に発展し、古窯のあった地域も開発される中で、古窯も…

長久手市の年表(1945~2024 主な出来事と人口の推移)

第2次大戦後の長久手村(人口6000人程)から長久手市になった現在までの主な出来事と人口の推移を表にまとめました。 昭和40年代初頭に東名高速道路が開通し、地下鉄も藤が丘まで延長され、長久手村は、昭和46年(1971)に長久手町になりました…

瓫五十戸(ほとぎのさと)1

瓫五十戸 1 長久手市文化財に指定された刻書須恵器片「瓫五十戸」 平成25年2月、須恵器片10枚が長久手市文化財に指定された。新規指定は長久手市では13年ぶりのことである。 長湫南部区画整理事業に伴う事前の発掘調査が、平成16年から18年にかけて丁子田1…

瓫五十戸(ほとぎのさと)2

5 猿投山西南麓古窯跡群と発掘調査 昭和30年、愛知用水工事に伴う遺跡調査により、1200基以上の古窯が確認され、長久手南部で4古窯が確認され、長久手で初めて古窯が確認された。現在、長久手市内には32の古窯が確認されている。 (猿投山西南麓古窯跡群)…

瓫五十戸(ほとぎのさと)3

10 猪高(いたか)緑地 平成13年4月号『名古屋市博物館だより139』に「猪高緑地採集『瓫』片」の報告。名東区上社の加藤久雄氏が永年にわたって名東区猪高緑地で採集し、名古屋市博物館に寄贈した2475点の古墳時代から奈良時代にかけての出土資料に、刻書…

長久手合戦関連の史跡

1 勝 入 塚(しょうにゅうづか)( 国指定史跡) 古戦場公園内 (長久手市武蔵塚204) 秀吉方の武将・池田勝入(恒興、信輝)が無念の戦死をした場所 ≫詳細はこちら 2 庄九郎塚(しょうくろうづか)(国指定史跡) 古戦場公園内 (長久手市武蔵塚204) 父池…

長久手市の城 大草城趾

大草城趾 【所在地】 長久手市溝之杁ほか 大草城の築城と改築 承久の乱で敗北した後鳥羽院方に参加した山田重忠は自害し、北条氏の御家人の所領となり山田荘の城塞・居館はことごとく焼き払われた。 大草城も焼かれて廃城となったまま、長い間放置されていた…