発刊物-会報胡牀石
『胡牀石』の由来
「胡牀」とは「床机」「腰掛」のことです。天正十二(1584)年四月、「長久手の戦い」で、徳川家康軍は色金山に陣を張り、山頂の巨石を胡牀・床机がわりに軍議を開いたと伝えられています。その巨石を「床机石」といい、色金山は国の史跡に指定されています。
「胡牀石(こしょういし)」の初刊(平成4年)から直近まで発刊された会報は長久手市中央図書館で閲覧頂けます。
「胡牀」とは「床机」「腰掛」のことです。天正十二(1584)年四月、「長久手の戦い」で、徳川家康軍は色金山に陣を張り、山頂の巨石を胡牀・床机がわりに軍議を開いたと伝えられています。その巨石を「床机石」といい、色金山は国の史跡に指定されています。
「胡牀石(こしょういし)」の初刊(平成4年)から直近まで発刊された会報は長久手市中央図書館で閲覧頂けます。