長久手市郷土史研究会

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≪隠れた史跡1≫ 八大龍王の碑と岩作八景「立石池落雁」の歌碑

八大龍王の碑と岩作八景「立石池落雁」の歌碑

はちだいりゅうおうのひとやざこはっけい「たていしいけらくがん」のくひ

愛知医科大学南の立石池南堤(長久手市岩作北山)

 

 愛知医科大学の南西に広がる岩作で一番巨大な立石池、この池の南堤中央に二つの石碑は並んで建てられています。

 

①岩作立石池
 立石池は、尾張名古屋藩二代藩主・光友の頃、寛文年間(1661~73)、数年の日時を費やして山間上流の権八上池(現医大敷地)からの雁又川を右折させ、築堤・貯水・排水等優れた土木技術で築造されたため池です。

 大きさは縦200間(360m)、横115間(207m)、面積18,560余坪(60,150㎡)、周囲築堤10町(1,080m)。現在は散策道も造られ、水辺生物、水草、葦なども茂り、いろんな野鳥も飛来し、自然豊かな四季の水辺風景が楽しめます。グリーンロード南側の杁ケ池と共に貯水池(農民の苦難とため池の変遷史)を語る長久手市を代表する現存の貴重な大池です。

 愛知用水の通水は岩作農地有史以来の水苦闘史(干天の水一滴は血の一滴)に終止符を打ったと古老農民は叫びました。

 それまでの長久手地域の水事情は、村の中央を蛇行して流れる香流川、立石池など一滴、一滴の雨水や山間の湧水を貯水する多くのため池が農民・郷民にとって死活の貴重な稲作用地水源(ため池は不文律の共有財産の一つ)であり、尾張藩の水政策にとっても河川改修、ため池の維持補修は重要施策でした。

 立石池の水は岩作字白針、塚本、八瀬ノ木、平池、長池、寺山、久手田、薮田、西島、石田地域の乾田、水田25町9反1畝3歩(25㌶)の稲作田地灌漑用水でした。

立石池と愛知医科大

 

②愛知用水

 昭和36年(1961)頃に岐阜県八百津町兼山取水口から尾張東部を通って、知多半島先端の篠島(120km以上)まで木曽川の水を通水させました。

 「夢の用水」構想事業は敗戦から間もない昭和22年(1948)浜島辰雄の自作『愛知用水概要図』(縦360cm、横180cm)にあります。干ばつの時、ため池と水ごいの祈りに頼っていた農民の水苦難を農家に生まれた安城農林学校の教師だった浜島は知っていました。

 昭和23年7月13日『尾張版記事』報道に浜島は手を震わせ、篤農家の故久野庄太郎(翁は田畑・私財を運動につぎ込み、破産。昭和62年「不老会」を浜島らと設立)を翌日訪問、意気投合の二人三脚で現地調査・農民運動に奔走し、「ものづくり愛知」の大動脈になる巨大事業を推し進めました。

 二人の素朴な情熱は農民、地域自治体、農林省幹部、安城農林学校の山崎延吉や教え子との逸話を多く残しています。壮大な夢の突破口は、当時の吉田首相への食糧増産構想の陳情から、佐藤栄作官房長官の催促電話「早く来い」に『愛知用水概要図』を持って首相官邸へ急ぎました。(平成25年10月15日「浜島辰雄97歳逝去と献体3番目の登録者」報道、「不老会」松崎副理事長に聞いた逸話を引用する)

 

③八大龍王碑

 石碑(高さ150cm、幅25cm)は大正2年(1913)9月、立石池南側堤に建立されました。

 岩作里誌は『大正2年7月5日よりの旱魃に際して「雨乞い」をした。8月13日伊勢の多度大社より黒幣様を奉迎し、当時の長久手村民は総出で各大字の氏神神社に雨乞い祈願の総参りと、立石池の南堤上に於いて8月16日から岩作・豊竜院、大草・三光院、長湫・豊善院の真言宗三院三僧正による17日間の雨乞い祈願を池中の八大龍王に祈願した。時の村長はじめ各大字の区長、村会議員、区会議員など関係者多数が参列して心願したところ数日にして沛然たる豪雨があった』といいます。

 この豪雨に村民一同感謝し、大正2年9月、ここに「八大龍王碑」を村にて建立しました。

「石碑の刻銘」は、大正2年9月 長久手村建立。

  • 長久手村長 加藤宗次郎
  • 岩作区長 加藤太七
  • 長湫区長 青山敬一
  • 大草区長 戸田鉷四郎
  • 前熊区長 伊藤牧三郎
  • 北熊区長 近藤正三郎
  • 真言宗三光院

です。

 しかし、多年にわたる風雪により、石碑が石碑が半分以上も埋没したため、平成2年(1990)12月24日、愛知用水岩作土地改良区区長、故日比野義信氏(平成12年『胡牀石』15号を参照)の御賛助により、修復再建したものです。


「八大龍王」碑-正面(左) 「八大龍王」碑-側面(右)

 

④立石池落雁の歌碑
 和歌を自然石(高さ150cm、幅120cm)に刻碑して、平成2年(1990)12月24日に加藤守松・すゞゑ夫妻(岩作字中根)によって建立されました。

 加藤氏の祖父加藤善麓氏が詠んだ岩作八景の一つです。

 『立石池落雁』
「うをはねる 里の大池 くれそめて 羽音しずかに かりのおちくる」
「秋、飛び来た雁が、空から立石池に舞い下りて憩う状をうたう」

(山田征治氏解説を引用)

 岩作八景は天保年代(1830~1844)に孤松斎椎玉揮毫の画帖をもとに、大正10年頃に岩作の文人たちが八景を詠んだと言われています。

「八大龍王」碑と「立石池落雁」歌碑

「立石池落雁』歌碑-正面(左)、「立石池落雁」句碑-裏面(右

 

参考文献

▽長久手町史 ▽長久手町郷土史研究会会報『胡牀石』 ▽香流川物語(小林元)

▽『愛知用水の生みの親、浜島辰雄逝去』(新聞報道)▽医学生の解剖実習に協力する団体 不老会(献体)
▽水の思想、土の思想世紀の大事業愛知用水(高橋哲郎)