長久手市郷土史研究会

長久手市郷土史研究会のホームページです。

≪隠れた史跡5≫猪の鼻里謡と馬頭観音

猪の鼻里謡と馬頭観音(いのはなりようとばとうかんのん)

長久手市役所の東700m(長久手市岩作色金)

 安昌寺の門前付近一帯を、元門と呼びます。元門とは出入り口のことで、安昌寺の参道が旧道につながる場所(入り口)であることから、この地名がつきました。元門から100mほど香流川をさかのぼると、“猪の鼻の堰”に着きます。川の左岸は岩作御嶽山、右岸には色金山が連なっています。色金山の東南麓に昭和63年(1988)、当時の
長久手町郷土史研究会が建立した以下の歌碑があります。

「ここは やざこか 安昌寺よこか むかし じゃのでた いのはなか」

 この里謡は古い時代より岩作に伝承されてきたといわれていました。
 言い伝えによると、井のはな(猪の鼻)は、古代より岩作川上の聖地とされてきた所で、上古神代の時代には龍神が棲息していたと伝えられています。岩作里誌によると、この後は
   「やざか はんかで なんぎはさせぬ 娘ないかよ 嫁ほしい立花 

たかやま ひがりがなくに 木曽の御岳まだしろいろもの 

兼五郎さん 首をとられた 井のはなで」

と続きます。
 愛・地球博記念公園よりさらに東南の三ヶ峯を源とする香流川が熊張と前熊の境を流れてきて猪の鼻に着き、安昌寺で南方に折れ岩作と長湫を下り名古屋市へ入り、最後は矢田川に注いでいます。
 長久手各地域では、香流川の自然流水を取水して揚水していました。堰の建設は古く江戸時代の初期に木材で作られていたそうです。現在の猪の鼻より、上水を取り水にするため、度々の改修工事により今の施設になりました。 
 堰とは、水流を止めたり調整するため、川の中や流水口に作った垣です。岩作にとっては、大切な水源で、昔から水神様が祭られていました。明治10年頃から、道路の整備や愛知用水の施設の改修により、水神様は色金山に移されました。

 当時の猪の鼻は,、村はずれで、人家もなく、時には盗賊が出たり、大蛇がすんでいて、人をおどしたりしたのを、安昌寺の雲山和尚が、退治したという伝説も残っています。

 また「挙母の兼五郎」という博徒が、同じ博徒の岩作の定助に猪の鼻で殺害されたとも伝えられています。
 里謡の石碑のとなりに、舟形浮彫りの三面八臂像座像の馬頭観音菩薩があります。明治33年9月に馬車引きの人々により建立(台石の刻銘には馬車有志中と彫られている)されたもので、馬頭観音菩薩は七観音の一つであり、通行する人びとの安全祈願と悪を退治する道祖神として信仰され、観音信仰と結びついています。
 その堂字が朽ちて破損した為、平成17年12月に松原力男氏(松原建設社長)の寄進により新しい堂宇が再建されました。この時、同時に猪の鼻里謡碑の基礎土台も打ち直して修理されたものです。

参考文献

▽香流川物語(小林元) ▽長久手の地名総集編(小林元) ▽長久手町史資料編 近・現代

▽長久手町郷土史研究会会報「胡牀石 27号」

猪ノ鼻の堰に至る県

猪ノ鼻里謡全景

猪ノ鼻里謡

馬頭観音菩薩