第4回学習会は「横道・深廻間・勝入塚・山越・砂子」
第4回学習会は (10月12(土)午後 11名が参加して、西小校区共生ステーションで開催されました。
今月の地名学習は『長久手合戦(天正12年4月9日)4つの戦いの初戦「岩崎城の戦い」で勝利を収めた後、三好秀次隊の敗戦「白山林の戦い」を聞いた羽柴方の池田隊6,000人・森隊3,000人が長久手に引き返し布陣した』と言う場所である「横道・深廻間・勝入塚・山越・砂子」の5ヵ所です。
⑫.横道(よこみち)・・(番号は第1回からの連番です)
長湫地区で最も東方に位置する字域です。東側は岩作・南側は日進市になります。広大な字域の大部分はグリーンロードの南側にあり、その大部分は豊田中央研究所の敷地になっている。字の北東端はグリーンロードの北側に伸びており、現在ではトヨタ博物館が建っています。
また、字の西には「菅池」と言う大きな池が有り大量の水が湧き出ていたそうですが、今は埋め立てられそこには家具屋(東京インテリア)が大きな建物で営業されています。
この字域に「羽柴方の池田隊4,000人が、池田恒興の長男である池田紀伊守元助(幼名 庄九郎)と次男池田照政(後に徳川家康の次女 篤姫と婚姻、播磨国に姫路城の基を築く)に率いられ、布陣した。
⑬.深廻間(ふかばさま)
前述の「⑫横道」の西側に接する字域です。グリーンロードの古戦場南交差点が地図のA地点です。字域は地図で示された通り傾いたT字型になっており、南西端にオヨナガ池、南東端に葦池が有りました。
この二つの池から水路が一つに合流して北方に流れ、香桶川(こうおけがわ)となって、その先は香流川に注いでいます。水路に沿って続く水田は湿田だったので、これが字名になったようです。「深廻間」は湿地が続く谷間と言う意味です。
2000年ごろに、T字型に行き止まっている道からさらに北北東へ続く道路がグリーンロードまで開通し、さらにその延長された道がイオン長久手店の東を通る事が出来るようになり、現在では「長久手温泉ござらっせが併設されている福祉の家」方面に向けて道路工事が進められています。
⑭.勝入塚(しょうにゅうづか)
グリーンロードと県道瀬戸・大府・東海線が交差する所(地図のA)は、古戦場南交差点と言われています。交差点の北西角には、古戦場のモニュメントが建てられています。また、その北側には、庄九郎塚(池田紀伊守元助の塚)があります。
字域の大部分は古戦場公園の東側に位置し、区画整理後の現在ではリニモテラスや多くの駐車場などが有りますが、整理前はこの一帯は水田でその中央は、前述の「⑬深廻間」からの水路が北に流れ、この先で香桶川になっています。
「勝入塚」という名の由来は、「小牧・長久手の戦い」で戦死した羽柴方の武将池田恒興(勝入)の塚が西隣の字「仏ヶ根」にあり、明治になってからこれが字名になりました。
羽柴方の岡崎中入り軍(池田隊・森隊)は「地図のC→B→A→D」を通り、「日進の北新田→生牛ヶ原(うぎゅうがはら)」を経由して岡崎城を目指す途中、「岩崎城」で戦いをおこしてしまいました。
(注):「長久手の地名」学習会に関する記事で「小牧・長久手の戦い」、或いは「長久手合戦」に関する記述は、「歴史本『長久手合戦(完) 浅井祥雲著』」が出典になっています。
⑮.山越(やまごえ)
この字域は、古戦場南交差点の南西方にあり、前述の「⑬深廻間」の西隣に位置し、かつ字域の南端はオヨナガ池に達しています。字域の中央部は丘陵で、南西隣の字「山野田」のA地点が海抜99mで最も高く、峰がAから東に伸び、B付近は80mありました。この山裾を東から西に巻くように「岩作村道」が通じていた。この村道が拡幅・直線化され、現在の県道瀬戸・大府・東海線になっています。
古戦場の南側で相対的に高いこの字域に「羽柴方の総大将として池田恒興」が、2,000人の兵士と共に布陣した。
⑯.砂子(すなご)
グリーンロードの砂子交差点(地図の中央少し下 A)を中心とする字域で南北に長い字です。字域の北隣は「城屋敷(しろやしき)」で、字境である道の北側には多くの人家が並んでいました。字域の「東側と南側は山林、中央と西側は畑」であり、水田は西北側にわずか3ヶ所だけあります。また、人家は3筆だけ北側に有りました。
「スナゴ」という地名は日本の各所にあって「砂のあるところ」という意味です。西隣の「喜婦嶽(きぶだけ)」も水田は粘土質の良田(りょうでん)でしたが、「砂子」の東部は砂の多い土質であったそうです。東隣の「武蔵塚」との境は高い峰になっていました。
「長久手合戦(完) 浅井祥雲著」に、『(森長可は)長湫の字砂子の東端にある岐阜嶽に上がり・・・」と書かれています。
森長可(池田恒興の娘婿)は3,000人の兵士を引き連れ、西隣の字「喜婦嶽」に布陣して、自身は「岐阜嶽」に移動し、「北方面に陣取った徳川家康の本陣への突撃チャンスを狙っていた」ようです。
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※「長久手の地名(小林元著2002発行)」を教材にして、学習しています。
※記事内の地図や写真は「長久手の地名(小林元著2002発行)」から借用しています。