一般社団法人 長久手市郷土史研究会

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沼尻の戦いが引き金 家康が小牧・長久手の戦いに参戦した訳とは 

長久手市郷土史研究会の歴史講座が10月6日、長久手市福祉の家で開かれました。

 

今回は本会の前会長の北山清昭会員が『「小牧・長久手の戦い」の引き金「沼尻の戦い」』と題して講演しました。北山さんは沼尻の戦いに関する永年の研究成果をおよそ120分にわたって映像や史料を駆使して詳細に解説し、会場いっぱいに訪れた会員や一般市民、歴史ファンらが熱心に耳を傾けていました。

沼尻の戦いについて語る北山清昭さん

 

熱心な聴講者が数多く訪れた講演会場

沼尻の戦いは利根川の北、北関東で小牧・長久手の戦いと同時期に、連動するかのように繰り広げられました。本能寺の変後、信長の後継を目指す家康は関東に活路を求め、対陣していた北条と一転し同盟を結びます。北条の侵攻に危機感を覚える北関東の武将たちは秀吉に支援を求めます。家康と北条、秀吉と地元武将が対立する構図の中、秀吉から家康に一通の書状が届きます。

 

北山さんが紹介したのは「大日本史料」にある手紙で、この中で秀吉は家康の北関東での惣無事が進まぬことに関して、家康を強く叱責しています。二人の仲はこれを機に大きく変化したということです。

 

秀吉に比べ軍事力が格段に劣る家康がなぜ小牧・長久手の戦いに参戦を決意したのか。信長後継の権力争いというだけでは説明しきれない謎の部分を埋める重要な文書で、家康の本心を窺う手がかりだと指摘しました。「沼尻の戦い」こそが引き金になったという訳です。

家康の先祖(新田源氏新田義貞)の発祥の地・新田金山城(群馬県)

 

なお、本講演の模様の動画が長久手タイムズのウェブサイトで公開されます。