庄九郎塚(国指定史跡)
古戦場公園内(長久手市武蔵塚204)
父池田勝入と共に戦った、池田元助(幼名庄九郎)が戦死をした場所
元助は池田勝入の長男で岐阜城主、天正12年(1584)小牧・長久手の戦いの時は、26歳の青年武将で父に従い参戦しました。
父や義兄(森長可)とともに家康の本拠の岡崎奇襲を企てましたが父勝入の討死後直ぐに、この地で安藤直次の手に掛かり戦死しました。残された一子元信は秀吉の馬廻りに取立てられ、その後、秀頼に仕えましたが、大坂夏の陣(1615)前には本家池田輝
政(元助の弟)の家来になりました。
塚名は元助の幼名庄九郎にちなんで名付けられたものです。 安藤直次は後に徳川家康の側近として仕え、その後、紀伊徳川家の付家老職(紀伊田辺藩3万8000石城主)に就いています。
◆明和の碑
建立時期:明和8年12月(1771)
建立者:尾張藩士 人見弥右衛門と赤林孫七郎
建立の経緯:長久手古戦場を見学に来た人見弥右衛門と赤林孫七郎は、遡ること宝永3年(1706)に同じ尾張藩士の福留親茂がたてた標木が朽ち、遺跡が滅失しようとしているのを見て嘆き、帰途の途中に石屋に立ち寄り、下記刻銘の石碑を注文し、現地に建立したと、『尾張徇行記』にあります。
この碑を「明和の碑」といいます。
石碑の刻銘内容
正面刻銘:池田紀伊守之助戦死場
背面刻銘:明和八年辛卯十二月八日造
石碑の大きさ:高さ 130㎝ 太さ 15㎝角
材質:花崗岩
◆明治の碑
建立時期:明治24年7月(1891)
建立者:池田家の子孫、16世公爵池田輝博氏及び旧臣の方々
石碑の刻銘内容
正面刻銘:紀伊守池田公戦死處、明治24年七月公爵池田輝博建之
背面刻銘:なし
石碑の大きさ:高さ 202㎝
材質:安山岩