幕末から明治維新にかけて日米の架け橋として活躍し、両国の友好の原点となったジョン万次郎こと中濱万次郎の直系五代目にあたる中濱京さん(名古屋市在住)の「ジョン万次郎講演会」が10月29日、長久手市福祉の家で開かれました。長久手市郷土史研究会の設立40周年記念事業で、市民や会員合わせて60人余りが出席しました。京さんは万次郎ゆかりの資料を映像で数多く紹介しながら万次郎の人間愛を語り、会場は感銘に包まれました。
※数多くの資料を紹介しながら語る中濱京さん
土佐出身の万次郎は。14歳の時に漁に出て遭難し、太平洋の無人島で過酷な環境を生き延び、143日後、奇跡的にアメリカの捕鯨船に救助されます。万次郎は船長の好意でアメリカへ渡り様々な学問を学びました。その後捕鯨船に乗って世界を航海しましたが、遭難から10年後、まず琉球へ渡り、その2年後にようやく高知へ帰ることができました。鎖国の時代、極刑の危険を冒しながらの帰国でした。ペリー来航で日本が騒然とする中、江戸幕府に直参として招聘され、通訳や翻訳、航海や造船技術の指導などに活躍しました。また勝海舟らと咸臨丸に乗ってアメリカへも再び渡りました。
講演で紹介された資料は、帰国資金を得るためゴールドラッシュに沸くカリフォルニアの金山で働く様子、アメリカで発展していた電信網の説明の図、子息に宛てたルーズベルト大統領の手紙など目を引くものばかりでした。また心温まるエピソードとして、武士であっても、大名にも乞食にも分け隔てなく接する、隣人愛あふれる人柄も紹介されました。
※市民らに感銘を与えた万次郎講演会
万次郎にまつわる友好の記念行事は今も続き、船長家と中濱家の固い絆は五代目、六代目になっても受け継がれているということです。京さんは富士通に勤務される傍ら、土佐ジョン万会名誉顧問などを務め、万次郎の功績を後世に伝えるため精力的に活動しています。講演を終えた後も、市民と和やかに歓談していました。
※中濱京さんを囲み和やかに記念撮影
長久手市郷土史研究会 全体学習委員会