長久手市郷土史研究会

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三将の墓所(さんしょうのぼしょ)

三将の墓所

常照寺内(長久手市桜作1101)

真宗高田派常照寺に長久手合戦で討死した

「秀吉方の武将 池田恒興、池田元助、森長可の墓所」がある。

◆三将の墓所と五輪塔

・長久手合戦の後、戦場で討死した人々の菩提を弔った。

 長い間、三将(池田恒興、元助、森長可)の位牌を守っていたが、昭和33年(1958)の火災で旧本堂とともに焼失した。
・境内裏手に三将の墓石と伝えられる三体の古い五輪塔(花崗岩、高さ63㎝、幅28㎝)がある。
・寺には天保七年(1836)の日付で、以下の記録が残されている。
 護国院殿 雄岳宗英大禅門 俗名 池田勝入
 宝勝院殿 顕功永節大居士 俗名 紀伊守
 華蔵院殿 鐵園秀公大居士 俗名 森武蔵守
 往昔天正十二年甲申閏四月九日於當所御合戦之砌
 右三将之御亡霊当寺境内江葬納仕御位牌并
 五輪右御墓等御座候。

◆常照寺

表門                        本堂

・常照寺は、もと仙寿坊と言い真言宗であった。後に真宗高田派に変わった。 正確な創建年次は不明。
 藤原志摩なる者が、長久手合戦の戦死者の菩提を弔うために開山したと『尾張徇行記*』に記されている。

・現存する棟札から、寛政三年(1791)には本堂、翌四年には庫裏が再建された。

・寛政十一年には牛頭天王を祀る堂宇が創建された。

・近年この本堂と庫裏は建て替えられた。

・又、牛頭天王は多度大社に合祀されている。

 

*尾張侚行記

 尾張藩藩士 樋口好古が寛政4年(1792)に着手し、文政5年(1822)に脱稿した地誌。尾張八郡を郡別一村ごとにまとめ、村高・地積・賦税・戸口その他村勢や特色が記してある。