長久手市郷土史研究会

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歴史小話14話 「市内に今も多く残る六地蔵」

  小牧・長久手の戦い」に関心がある方は 以下の青字で書かれた「小牧・長久手の戦い」、 「長久手合戦の史跡」を直接クリックして下さい。戦いの全体、遺跡について 詳しく説明 ​しています。いずれも長久手市郷土史研究会が独自に調査したもので、他ではご覧になれ ないものばかりです。   小牧・長久手の戦い  「長久手の戦い」史跡   それ以外の郷土史全般に関心がある方は左欄 郷土史研究会投稿記事一覧(1)
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六地蔵 長久手市内の東部には、今も昔のままの形で残されている墓地が多い。 そこを訪れると、入口に入るとすぐに舟形浮彫りのお地蔵様が六躯並 んで、私たちを出迎えているようにんで立っていることが多い。その いずれもが、多くの仏様と同じように背後に舟形の光背を付けたお 地蔵様である。そして「南無阿弥陀佛」と刻陰された六字名号中心に 左右に並んでいることが多い。このお地蔵様を「六地蔵」と呼んでいる。 戦前は名古屋でもよく見られたとのことであるが、戦後、旧市内の 全墓地は平和公園に移転したり、新市域では区画整理事業などにより 撤去されたりして、今では見ることが極めて少ない。そういう意味でも、 長久手の「六地蔵」は極めて貴重な石造文化財であり、人々から守り 続けられてきた生活文化であり、民文化財といえる。しかし、永年の 風雪により文字の判読が困難な箇所も多い。砂岩や花崗岩によるものが 多く、石質によるものと思われるが、残念なことである。六地蔵は、 人間が善悪の業によって死後に行く六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・ 人間・天上)のどこにいても救済するという有り難い地蔵である。  市内で見られる六地蔵はすべて舟形浮彫りで、江戸時代以降、各墓地に おかれたものである。昔は土葬であるから、家から墓地までの行列の後、 墓地でまた僧侶を中心に葬儀が営まれ、六地蔵の前の石台に棺が置かれた。 鴉が廻間の墓地に立つ六地蔵:昭和50年➡卯塚緑地公園の墓園に立つ六地蔵 詳細はこちら